モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード23
「愛してるんだ!」
陳腐なこの言葉を聞くのは、もう何度目になるのか。
下手したら数十回、いや、ひょっとしたら数百回にもなるかもしれない。
ただの仕事上の付き合い程度の相手だった。私は何とも思っていなかったし、その他大勢でしかなかった。仕事上の交友関係なんてそんなものだろう。
「妻に似ているんだ! ……いや、依子さんの方が妻より若いし、ずっと美人だけど!」
どうでもいいと思っている相手にそこまで熱心に口説かれる気持ち悪さ。想像できる人なんてそう多くはないだろう。大体、妻と比べられるこっちの身にもなって欲しい。知らないわよ。
「頼む! 俺と結婚して欲しいんだ!」
会うたびにこんなことを言われると、全くその気はなくとも気持ちは動くというものだ。もちろん、恋愛感情が生まれたわけじゃない。
仕事先の人々には大っぴらに話していないけど、私も子持ちのシングルマザー。まだまだ幼い息子がいる。
女性の社会進出が叫ばれて久しいが、未だに女手ひとつで子供を育てるのは厳しい。給料は人並みに貰っているものの、大半が養育費に消える。加えて私の子供は生まれつき病弱で虚弱。ことあるごとに体調を崩し、私の予定を狂わせてきた。
仕事のために子供を預けるのはよくある話だが、すぐに体調を崩すような子供となると預けられる場所も限られる。どうしても働くためのコストもかかる。
できれば私は結婚なんかしたくない。息子、冬也ができたこと自体予定外だったのだ。この件で私もすっかり懲りた。やはり信じられるのは自分だけ。いいことも悪いこともすべて自己責任で生きていくのが一番だと思っていた。
けれど。
「高坂さんって上の人たちの間で評判いいのよね」
「娘さんひとりいるらしいけどさ。専業主婦の奥さんと子供を養って余裕ある生活してたっていうし」
「隠れた優良物件かもね」
あの男の会社と関わるようになって、そんな話を聞いていた。
自分一人で自分だけを養う生活ならまだしも、私には子供がいる。そうなると取るべき生存戦略も変わってくる。
冬也とあの男の娘の二人、子供たちを養って私は専業主婦という手もありかもしれない。高給取りのあの男と結婚するならば、家で待っているだけではないかもしれない。たまに高額のプレゼントや海外旅行も期待できるかもしれないのだ。
となると、私一人で生活費と冬也の治療費を稼がなくても済むかもしれない。黙っているだけで自由に使えるだけのお金が入ってくるならそれに越したことはない。
「……」
あの男は、私を愛していると言った。
ならば少なくともしばらくは私を軽んじることはないはずだ。生活の保障はされるはずだ。
義理の娘が唯一のネックだが、所詮は子供。私が気に食わなくとも取れる手段など限られているのだ。恐れることはない。
私は母親なのだから。
「そう、母親」
不慮の妊娠とはいえ、私は冬也の母親。
母親というのは自分の子供のためならなんでもできる。他の誰から罵られても自分の子供だけは守り抜く。それが母親というもの。
自分の子供が大事だから他の女の子供より自分の子供を優先する。そうでなければ誰が子供を守るのだ。
母親というのはそういうもの。
「結婚の話……お受けします」
迷った末、私はあの男にそう返事をした。
負けてたまるものか。たとえ生意気な娘だったとしても、私は自分の子供を守り抜く。鬼母と言われようが、私は私の守るべきものを守る。
私の気持ちなどわからない高坂はへらへら笑っていた。
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