モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード22
真夏の街は今日も強烈な日光が降り注ぐ。
あたしは一緒に歩く冬也の具合が気になってしまう。この子は強すぎる陽光に弱い。だからいつもあたしのお古の紫外線カットのパーカーを着ている。
「そんなに心配しなくても」
大丈夫。そう言いたげに冬也は笑った。
「そんなこと言って。具合悪くなって苦しいのはそっちなんだから」
あたしは心底冬也が心配だから過保護にもなるというのに。
冬也の方もそれをわかっていて、心配をかけまいと笑って見せるのだろう。
そろそろ待ち合わせ場所の駅前に着く。出かける寸前にちょっと冬也の調子が悪くなったから遅れているだろう。希幸には、申し訳なく思いつつ、けれど同時に体調不良なんだから大目に見て欲しいという甘えの気持ちもあった。
駅前にはやっぱり希幸はいて、はたから見てもわかる上機嫌ぶりだ。あたしはいつもの調子であの子の名前を呼んだ。
「希幸」
「立花さ――」
この後の希幸の反応は十分予想できていた。きっととんでもなく腹が立っていることだろう。
そしてやっぱり、あたしの想像通りだった。
「おまたせ」
いきいきしていた笑顔は固くなり、希幸の表情作り物のようになる。
「ほんとごめん! 2人きりでって約束だったのに」
それまでの笑顔はわかりやすくしぼんでいく。
2人だけでという約束を破ったあたしの方に全面的に非がある。
「冬也の一時退院が決まって……他の日は試合とかで予定が埋まってて」
自分に非があると自覚していながらも、それでも吐き出さずにはいられなかった。
「もし……あたしが不在の時に急変したらと思うと。ごめん」
本心から言っている。
言っていることは間違ってはいない。だから仕方がないのだ。
傍から見ればあたしの言い分は見苦しい言い訳だ。そのすべてを自覚したうえで言っている。
言われた側の希幸はどうあがいても許さなければならない気になるだろうとわかったうえで。
「……」
希幸は内心では不満たらたらのはずだ。
なのに、あたしがこう言っては許す以外の選択肢はない。
「……わかりました」
あたしは、こうなることを完全にわかって言っていた。
「ですよね。立花サマ優しいもの」
「ごめんね」
罪悪感を覚える。
けれどもそれは、ほんのささやかなものだった。ほんの少し「悪い」と思うだけ。
「いいんです」
自分は大変なことが多いのだから。だから希幸は目をつむってくれて当たり前。こんな感覚すら覚えてくる。
ねぇ希幸、あたしはあんたが思っているほどいい人でも、優しい人でもないんだよ。
「どこから回ろうか?」
「ええっと……」
「ショッピング行きましょう!」
「立花サマお誕生日でしょ?」
「プレゼントを贈りたくて!」
何も気づいていないふりをしてるけど、あたしはちゃんと気づいてる。
希幸は冬也を親の仇のように睨みつけていることを。ちゃんとわかっていて、あたしはわからないふりをしてるんだよ。
「わっ!」
などということを考えていたあたしの腕に、希幸はいきなり絡みついてきた。
「このくらいいいですよね!」
今までの流れを振り払うかのように明るく希幸は言った。
「れつごー!」
本当にこの子は明るい子。元気な子。
この屈託のないところをあたしはいつも羨ましくも妬ましかった。あたしも余計なことがなければきっと、こんな風になれていたのだろう。
希幸はいい子だ。
だから問題があるとすればあたしの方にあるのだ。
そんなことを考えながら、あたしたちは店が並ぶ通りに向かっていく。
何やら思わせぶりな視線を希幸は向けていたけど、何を考えているかはあたしにはわからない。
希幸が好きそうなファンシーな小物を売っている店についた。
道中、希幸は何かを考えこんでいたようだけど、あたしにはよくわからないので気づかないふりをしていた。
店に入ってしばらくあたりを眺めた。
正直、あたしはこういう小物や雑貨は興味はなかった。
小さくてごちゃごちゃしたものは苦手。昔ならともかく、高校生にもなれば興味は減っていく。
あたしと冬也は特に熱中するわけでもないので希幸だけが盛り上がっていた。
「この色かわいいっ!」
しばらくひとり盛り上がっていた希幸は途中の棚の前で立ち止まった。高校生くらいの年代向けの色付きリップのようだ。まだ口紅を塗るような大人ではないけど、少し大人ぶりたいあたしたちの年代向けなのだろう。ただし本格的な化粧品とは違って、パッケージもチープさをキュートさでコーティングするようなものだ。
「ケースもかわいい! 立花サマに似合いそうですわ」
希幸は相当気に入ったらしい。
嬉しそうにあたしに勧めようとする。
本音を言うと化粧は苦手だ。口紅ひとつ塗るだけで一気に大人になる感覚がするし、あたしはあまり化粧に興味はない。
この場にいないはずのあの人のことをつい連想してしまう。
「……そうかな」
あたしの素っ気ない反応に気づかないのか、希幸は食い入るようにリップを見つめている。
「ローズピンクいい色!」
「あたし運動部だからなぁ」
「大丈夫です! 色付きリップですもん」
大丈夫とかじゃなく、あたしはこれでも遠回しに苦手だと言っているつもりなんだ。
やはり気づかない希幸はさらに続ける。
「本格的なメイクじゃないですし。薄づきですし。高校生ですよ? このくらいへーきです!」
「……」
だからそうじゃないんだけどなあ。
どう返答したものかと考え込むあたし。そこへそれまで静かだった冬也が口をはさんだ。
「いや……オレンジの方が良いと思う。ケースもシンプルな方が姉ちゃんの好みだし」
反対するでもなく、冬也はあたしの好みを言った。いや止めないんだ。
「肌の色とも合うよ。姉ちゃんはピンクよりオレンジ」
たしかにそれはあたしの好みだよ。さすが弟なだけあって的確なコメントだよ。
でも今はそういうんじゃなく。止めて欲しいなあ。
「ピンクよっ!」
「オレンジだっ!」
予想しない方向に話は進み、冬也と希幸はピンクかオレンジか論争を始めた。
もうこうなったらこの2人の口論は止まらないのだろう。
あたしはクレープでも買いに行こうとその場を離れた。
「いらっしゃいませー!」
クレープ屋の定員はにっこりと営業スマイルを浮かべた。
そのあくまでも他人といった態度にホッとして、今日は何にしようかとメニューを眺める。
イチゴのホイップクリームの文面に真っ先に目が行く。
これ、希幸の好きなやつ。
いったん離れて落ち着こうと思ったところでも希幸のことを連想してしまう。
そんな自分に苦笑しつつ、定員に注文する。
冬也もたまにはクレープくらい食べさせてやりたい。あの子が好きなのはあれだっけ。
「ありがとうございました」
定員の声を背中で聞いて、あたしは店に戻る。
当夜は窓際にいたのでクレープを渡す。
「ありがと」
「希幸は?」
「会計に行った」
「そっか」
短い会話をしている間に希幸が戻って来たようだ。
「希幸! これ好きでしょ?」
キョトンとする希幸にクレープを差し出す。
「丁度近くに来たことだし。今日のお詫びも兼ねて」
理由はどうあれ、ふたりだけでという約束を破ったのはあたしの方だ。
そんなつもりでクレープを買ってきたのだが。
「……立花サマ好きです」
なぜかこのタイミングで希幸に好きと言われた。
「え? ……あ、ありがと?」
たまに希幸はこんなことがある。
あたしにはよくわからないタイミングで予期せぬ好きと言われる。それなりに長い付き合いなのに、未だに希幸を完全に理解しているとはいいがたい。
あたしたちの関係って本当によくわからないね。
この後はしばらくあたりをぶらぶらして、希幸とのなんでもない会話をするいつもの流れとなった。
そしてあっという間に日は暮れる。
「あ〜楽しかった!」
希幸は満足げに言う。
「もう夕方」
「あっという間でしたね」
本当にあっという間だ。夏場だからそれなりに長い間遊べたけれど、やっぱりいつかは日が暮れる。
「楽しい時ほど、だね」
「立花サマ」
あともう少しでこの時間は終わる。
らしくもなくしみじみとそんなことを思っていたら、希幸の言葉が聞こえた。
「これ……受け取ってください」
どこか思いつめたような声で。
「高いものじゃないけど。口紅よりリップがいいとか、使いやすさとか。わたくしなりに考えてみました」
ラッピングされた袋を手に、真剣な顔で希幸は言葉をつづった。
「お誕生日おめでとうございます」
あたし、口紅はもちろん、化粧は苦手だ。
人がしているのはともかく、あたしがするのは苦手だ。
口を突いて出そうになる。本音をぶちまけたくなる。
けど希幸はあたしの事情など知るはずがない。言っていないのだから知るはずがないのだ。
「……ありがとう」
だからあたしはただ礼を言った。
最寄り駅の改札で希幸と別れる。
あたしと冬也も自宅の最寄り駅につく。道を歩きながら冬也は呟く。
「いつもながら嵐みたいな女……」
その呟きを聞きながら、あたしは包みを開ける。
なんとなく予想はついていたが、希幸からのプレゼントは雑貨屋で見ていた色付きリップ。ローズピンクの。
「姉ちゃんピンク苦手だよな」
そうだ、苦手だ。
「使うの?」
いつも使っているような二本で二百円のものじゃない。これ一本で千円超えるくらいの品質の物。パッケージも全然違う。
きっと希幸はプレゼントだと背伸びしたのだろう。
「せっかく希幸が選んでくれたんだから。使わなきゃ」
それがきっと、正しい感謝というものだろう。
気を取り直すようにあたしと冬也は歩き出す。
「ところで、今日何食べたい?」
そんなことより今日の夕食。
せっかく冬也が一時的とはいえ退院したんだから。
「家にいられるんだから、食べたい物作ってあげる」
「ほんと!?」
あたしが言った途端、冬也は目を輝かせた。
次の瞬間には恥ずかしそうな表情になった。けれども食べたい物をリクエストできるとなると嬉しさを隠しきれないのか、素直に希望を言った。
「……ビーフシチュー。じっくり煮込んだやつ……」
案の定のリクエスト。
冬也は何か一品しか頼めないとなるといつもこれだった。
「よし! 今日は肉が安い日だしちょうどいいね」
タイミングが良かった。
「ポイントカード持ってる?」
「バッチリ」
あたしの弟はこういうところがしっかりしている。
ポイントカードの有無をちゃんと聞いてきたり、相手の都合に配慮したり。こういったことがなんとも上手い。
同時に少しだけ悲しさを覚えるけども。
買い物を終えたあたしたちは自宅に着いた。
「ただいま!」
この時間ならだれもいないはず。ちょっとふざけたつもりで言ってみる。
「なんてね。まだ帰ってないよね――」
「おかえり」
そこへ予期せぬ返事があり、あたしも冬也も一瞬固まる。
「遅かったじゃない」
しずかな部屋の中で物音だけが高く響いた気がした。
声の主はわかりきっている。この時間に父さんは帰ってはいないから。
「……ただいま」
あたしは未だに緊張する自分を不甲斐ないと思いながら部屋の中に視線を向ける。
「依子さん」
そこには果たして予想通りの人物が化粧直しをしている最中だった。昔とあまり変わらない姿で赤い口紅を塗っている。
一気に空気が重苦しくなったのは気のせいじゃないだろう。
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