モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

エピソード12

 学生にとっての一番の試練は定期テスト。
 逆に言えば、テストさえ乗り切ってしまえばあとはどうということもないということだ。
 テストが終わった後、私は縁側そばで昼寝をするのが好きだ。
 日頃の勉強から解放され、義務もなにもない自由な身で好きなだけ惰眠を貪る。これ以上の贅沢があるだろうか。中学生の頃は寝ることにもあまり興味はなかったものの、高校生になってからはやけに眠くてたまらない。ようやく私にも睡眠の大事さがわかってきたということだろう。
 今回もその慣習にもれず、私は夏独特の暑さを感じながら横になっている。
 薄い意識の中、風鈴の音が聞こえる。
 リーン、リーン……その涼しい音は次第に大きくなっていく。
「おい」
 それに混ざるように聞こえてくる、大事なひとの声がある。
「雪子」
 まだ寝ていよう。課題は終わったんだから。
「雪子」
 ちょっと苛立ちが混ざってきた。珍しい。
「雪子!」
 三回目。いい加減にしびれを切らしたのか、今度はやや怒ったよう。
 そろそろ起きなくちゃ。またあの夢を見ないうちに。
「電話だぞ」
 まるで世間一般の兄妹のようにそっけなく差し出される電話の子機。
 私はまだ眠い目をこすりながら声の主の方を見る。
 でも、そこにあるのはいつもの優しいお兄ちゃんの顔。
 私の好きなお兄ちゃんのなんでもない顔。
「休みだからって寝すぎ。ほら」
 内心ではドキドキしているのを気づかれないように、私は不機嫌を装う。寝起きなのにって態度で。
 子機のやり取りの時だって、指先が緊張しないように、かえって緊張した。
「もしもし」
 休みの日に電話をかけてくる知り合い、それも家電に。そんなのはそう多くはない。
『雪子さん』
 この声は――、反応する前に向こうが先に答えた。
『あたしです。立花』
 やっぱり。
 学校で話せばいいのに、家にまで持ち込むということは生徒会関連の話だろう。十中八九希幸関連。
『寝てました?』
「まぁ……ね」
 別に迷惑はしてない。そう言外に伝えたのに、立花ったらかけてきておいて謝る。
『すみません、ジャマしちゃって』
「いいわよ、別に」
 本当に別にいい。
 だって。
 私は縁側に座るお兄ちゃんの方を見る。
 正直、イケメンでも美形でもない、その辺に大量にいそうな顔立ちの兄。その兄が別の意味で好きだと思い始めたのはいつからだったか。
 私は立花の話などすでに耳から耳へと通り抜けていた。
 そう、希幸は立花が好き。それでよくからまわり、いつものことだ。
 かくいう私は――
 そんなことを考えながら通話を切った。
 お兄ちゃんは私の視線に気づいて、不思議そうな顔をする。またそんな顔して。
 

 私には兄がひとりいる。義理じゃない、実兄。
「昼にするか」
 お兄ちゃんは大学二年生。大学生は入学と同時にひとり暮らしも珍しいことじゃないけど、高校生の私と一緒に実家暮らしだ。
 別にお兄ちゃんが自活できないわけじゃない。原因は私にある。私が極度の方向音痴で、いつも妙なところに迷い込んでしまうから。だから、いつでも送迎に困らないように、迷っても迎えに来られるように、兄は実家で暮らしている。
 妹想いのいいお兄ちゃんだ。
「何の用だったんだ?」
 お兄ちゃんがゆでたそうめんを啜りつつ、私たちはお昼を食べている。私がやればいいんだろうけど、小柄なので力不足らしく反対される。
「別に。ただの痴情のもつれよ」
 いつもいつも、私のことを助けてくれるのに、なんでこう冷たい言い方しかできないんだろう。
「女子校で?」
「女子校で。」
 女の園って言うのは男子の幻想なのだと、この兄はあまり理解したくないらしい。
「立花はモテるから」
 フォローにならないかもしれないけど、一言添えると、お兄ちゃんったら褒めてるのか貶してるのかよくわからないことを言った。
「へー雪子も、十分モテそうだけど。なーんて」
「……」
 それは一体どういう意味?
 ちょっとはうぬぼれてもいいってこと?
「つまり、お兄ちゃん的には好みなんだ?」
 ここでYesと言ってくれればそれだけで満足なのに。
「兄貴のことからかうな。ごちそうさま」
 本気だったのに。
 私は鈍い痛みを覚える。
 うちはいつもこう。
 いちばんわかってほしいのに、いつもかわされる。
 まあ、当然なんだけど。
 ふと、あのひとのことを思い出した。
 私を生徒会に誘った人、参加しないかともちかけたひと。
 あのひとはあのやわらかい声音で言ったのだっけ。
「そうですか。貴女には、叶えたい願いがあるのですね」
 去年。時期はよく覚えていないけど、あの時のことは忘れていない。
 叶えたい願い、私の願い。そんなものはひとつしかなかった。
「ではもしも、それが敵うとしたら?」
 そのひとは、不可能なことを可能だといった。
 そんなわけないのに。
 でも、ダメでもともと。すがってみようと思った。
 私の想いが叶えられるのなら……
「雪子、ドライブ行かないか」
 チャリと、キーとキーホルダーがぶつかる音がしたと思ったら、お兄ちゃんが外出の誘いをかけてきた。
「海にでも行こう。涼しくて気持ちいいぞ」
 楽しそうに、でも私を楽しませようとしてくれてる。なんて優しいお兄ちゃん。
 これだからこの兄は。


 車の中で私はお兄ちゃんのハンドルさばきを見ている。視線がはらむ熱を気づかれないように。「彼女は?」
「上手くいかなくて」
「やっぱり」
 だと思った。だって
「お兄ちゃんはいい人で終わるタイプだもの」
 うれしくて、つい笑みがこぼれてしまう。
 運転中のお兄ちゃんにはわからないのは本当によかった。
「うるさいな。わかってるよ」
「……」
 今はこうして一緒にいられるけど、いつかは――
 ごくごく当たり前。
 でも、だけど。
 考えるだけでも苦しくなる。
 上手くいかない兄でいい。
 ……上手くいかない兄がいい。
 私の気持ち、気づかれてはいけない。
 でも、気づいてほしい。
 矛盾だ。
 そうこうしている間に海に着いた。


 夕方の海は夕日を反射して綺麗だった。私は昼間よりもこのくらいの時間帯の海が好きだ。ちょっと物悲しい空気がいい。
 私とお兄ちゃんは並んで海を眺める。静かな波の音は、私の昂った気持ちを静めてくれる。
 もっと、ずっと。
 そばにいたい。
 私の望みはただそれだけ。
 そう思った時、私は意識が遠くなっていくのを感じていた。
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