モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード8
テスト目前。
あたしのように、普段あまり勉強していないタイプからすれば、この時期は詰め込み期間。まぁ、体育会系はあまり学校からも期待されていないだろう。とりあえず最低ラインは通っておけば特に注意もされない。
そうはいっても、やっぱりきちんとできるに越したことはない。
テスト前限定の図書室常連のあたしは、部活がテスト休み期間なのを利用して久しぶりにここに来た。考えることはみんな同じらしく、運動部のご同輩を結構見かける。
参考書を手に席を探していると、そこに見知った顔を見つけた。希幸。
どうやら相当集中してるらしい。あたしが近くによっても気づかない。カリカリと紙の上をシャーペンが走る音が響く。
「頑張るね、希幸」
「立花サマ!」
途端に希幸は嬉しそうな声を上げた。
あたしは慌てて口元に人差し指を持っていく。図書館ではしずかに。
そのまま希幸はハリのある声でどこか得意げに言う。もちろん声は潜めつつ。
「赤点じゃなかったら、デートしてくれるんですよね? たのしみー!」
まったく、この子は。
普段からちゃんと頑張ればかなりいい成績が狙えそうなのに。
「試合の見学でいいの?」
最後に生徒会室で別れた時、希幸は試合に堂々と応援に行きたいと言っていた。デートなんていう形式にこだわるのかと思っていたのに、そうでもなかった。
女子校なら女子同士で出かけることを「デート」というのもおかしな話じゃないと思う。
そういう意味で言えば、あたしはそれなりに「デート」したことはある。
自分から進んで誘ったことは一度もないけど。
ふと窓の方に視線をやると、カーテンがかすかな風に揺れていた。ミーンというセミの鳴き声が聞こえる。
「もう夏だね」
夏になれば試合の数も増える。あたしはいくつかの運動部に所属しているけど、スポーツ特待の義務のような助っ人していることも多い。チームメンバーが足りない集団競技なんかではいつも駆り出される。
おかげで勉強する暇もない。あまり好きなわけでもないからいいけど。
ただ、困ることがある。とても大事なことだ。
そんなこんななことを考え込んでいたら、希幸が何かを思い出したかのように「あ」と声を出した。
「もしかして、アイツも来るんですか?」
できるだけ希幸には言いたくなかった。それはあの子を守るためでもあるし、希幸自身のためでもある。
「? 許可が出たらね」
あたしにとって一番大事だと実感している存在。でも、希幸にとっては視界に入るだけでも耐えられないくらい嫌な存在。
実際、これまでにふたりは何度か会ったことがあるのに、ろくなことにならなかった。一度も。
「ヤなの?」
わかりきっていることを尋ねるあたしは意地悪だろうか。
予想通り、希幸は表情を曇らせた。
「いっつも立花サマと一緒なんて、羨ましい!」
ああもう。この子はいつも、ずっとこうだ。自分の立場、自分の視線でしか考えないし、見ようともしない。
もっと他の、深い事情があるかもしれないなんて考えやしないんだ。嫌いではないものの、希幸のこういうところは好きになれない。
「……いつもじゃないよ」
あたしはいい気分ではないことを言外に伝えようとしたが、やはり伝わらない。
「いいなぁ。立花サマに構ってもらえて」
反射的にあたしは唇を噛んでいた。
本当にわかってない。
この子のこういうところを知っていくたびに、「あたしは本当に希幸と一緒にいるのが楽しいのか?」と、自分に問いかけたくなる。
なぜ、こうして一緒にいるのか。
「あたしはただ……ふたりとも好きだし、仲良くして欲しいだけ」
あたしのこの言葉は、どこまで本当なんだろう?
もしかしたらあたしは、あたし自身さえだましているのかもしれない。
希幸のことを可愛い後輩と思っているのだ、と。
希幸が何も言わないから、あたしはこの子と出会った時のことを思い出していた。
あれは中等部にいた頃。たしか夏のことだったっけ――
「こっちこっちー!」
「オーライ!」
それはまだ肌寒い春のことだった。
たしか、五月だったか。都内は暑い日もあったけど、寒暖差が激しかった。
あの日もあたしは、友達とキャッチボールをしていた。野球とかそういう本格的なのじゃない。他愛もない遊び。
「あっ」
弟の調子が悪いって話を聞かされて、その時はあまり気持ちが落ち着いていなかった。冬也は前から身体が丈夫な方じゃなく、学校も欠席することが多かったから、あたしも心配だった。
だからかあの時も、あの子のことを考えていたのは覚えてる。
だから、ぼんやりしててボールを取り損ねた。
「あーあ、なにやってんの立花!」
「ごめんごめん!」
すぐボールを取ってくるね。
そう言って、あたしはボールを探しに行った。
簡単に見つかると思ってたのに案外てこずって、普段は行かない校舎裏まで探し回った。
その時、悲鳴を聞いた。恐ろしいものを見たような悲鳴。絹を裂くようなっていう形容詞がよく似合うものだった。
「え?」
あたしはその音源がすぐそばだったことに、間の抜けた声を出してから気づいた。
植え込みのすぐそばに、おとなしそうな子が座り込んでいたことにその時に気づいた。その子はあたしを見て恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
「今の……君? その、えっと……」
なにか見てはいけないものを見てしまった気がして、あたしはらしくもなくしどろもどろになってしまった。恥じ入るように赤くなったその子こそ、それからそれなりの付き合いになる、北南希幸だった。
それからしばらく、彼女の話を聞いた。
友達付き合いがうまくいかないことを。その原因がここにいない男子が原因だということを。
「そっか」
手持無沙汰だったあたしは、ボールをもてあそびながら彼女と話をした。
みんな待っているということはわかっていたけど、なんとなく希幸を放ってはおけなかった。自分でもなんでだろうと思った。
「みんな男子がいいって。彼氏が欲しいって。話が合わなくて」
中学生にもなれば恋愛に興味を持つのは『当たり前』なんだろう。そうでないのは『おかしい』と思われる。でも、それならあたしも?
あたしも別に好きな男子はいないし、十分『おかしい』部類なんだろうか。
そんなことを考えながら、希幸の言葉に耳を傾ける。
「せっかく友達になったのに、男子の話ばっかり。なんでそんなに男がいいんですか?」
希幸は真剣な眼をあたしに向けてきた。切実な眼。あたしも適当なことを言ってはいけない気がした。
だから、あたしなりに考えた。
「うーん……」
考えるのは苦手。それに、どんなに見せかけだけのことを言っても、この子の気持ちは納得しないだろう。
だったらあたしに言えることはこれだけだった。
「わかんない。」
「え」
必死に考えたけど、やっぱりあたしにはわからない。一番誠実な答えはこれだけだった。
「あたしも彼氏とか興味ないし。同性と一緒の方が楽だし、気持ちわかるよ」
本音だった。
恋愛はあたしには高度すぎる。女子同士で一緒にいる方がずっと気が楽だ。そこに男子に入り込んでほしくない。
「イヤならムリしなくていいじゃない?」
ここには男子はいないんだから。少なくとも、ここにいるうちは意識しなくていいんだから。
「あの!」
そろそろ戻らないといけないと思っていたあたしは、希幸に呼び止められた。
「貴女のお名前は……?」
それから、三年が経って、あたしと希幸は高等部に進学した。
――知り合った頃はそれなりに距離があったあたしと希幸は、同じ生徒会に入った。
あれだけおとなしそうに見えた希幸は少しづつ図太くなり、なかなか押しが強くなった。それも成長したってことなんだろう。
頑張る希幸に差し入れでもしようかと紅茶を買った。
「希幸?」
あたしが席を外したことに気づかなかったらしい彼女は、声をかけると我に返ったらしい。
「一休みしようか」
たしか、この子が好きだったはずの紅茶を差し出す。
「あげる!」
一瞬呆けたような顔をした後、なぜか希幸は笑った。とてもうれしそうに。
こういうところは相変わらず可愛げがある。
冬也に退院許可が出たら仲良くしてくれるだろうか。
あたしと希幸は再び、手ごわいテスト勉強に向かい合うのだった。
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